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居住

木と出会い、人と出会い 自然と見つかった定住の地。まだまだ新しいことが始まるキリフリ谷

 

小坂 憲正さん

30歳のとき、単身ゼロからの移住スタート。人の縁を大切に、気がつけば20年近く日光生活をしている。

 

木の仕事がしたい一心で、裸一貫、あてのない日光へ

 

 

もともとログハウスに興味があり、大学も建築科に進みました。卒業後は鳶の世界にいたのですが、ある日憧れていたログハウスの巨匠「B・アランマッキー」さんの本を読んだら、たまたま日光の小来川にお住まいになられていることを知りました。それで、1ヶ月ほどログハウスを習いに行ったんです。それが、日光との最初の縁です。

 

30歳になり、あらためて人生を考えたときに、やっぱり木のしごとがしたいなぁと思い、浮かんだのがかつて訪れた日光の小来川でした。“日光”という地名も縁起がよさそうで気に入りました(笑)。

 

日光に来て、最初は便利屋の仕事、その次は石屋をやりました。木とは関係ないですけど生活のために、ですね。

 

そのうち縁があり、建築関係で働くことができました。そこで7年くらい働いているあいだ、余った木材でいろんなモノをつくらさせてもらい、自分なりに勉強する機会を得られました。

 

 

定住の拠点となる自宅「幾何楽堂」を3年かけて手作り

日光に知人はいなかったけれど、そういう場所で人生をスタートさせるのは、かえって自分には合ってました。歴史があり、昔からの付き合いを大切にする日光で仕事をするのは当時の新参者にはそう簡単ではありませんでした。でも、コツコツ仕事をして信頼を得、人間関係も大切にしました。いい縁に恵まれたからここまでやってこれたと思います。

 

霧降に建てた自宅「幾何楽堂」に住んで12、3年になります。最初に訪れた時、眼下を見下ろすと沢に鹿が遊んでいるような景色が気に入りました。その頃は日々の生活が精一杯で、ここに家を建てるなんて夢にも思いませんでした。

 

そんな折、ある人に頼まれて扉を作りました。その時、これからの住宅には、こういう独創性が必要だな。と感じたんです。ならばモデルハウスを作ってしまおうと。これがこの家を建てる動機でした。

 

その頃、フィンランドのシルバーパインという幻の木が奇跡的に手に入り、もう、これは建てるしかないなと(笑)仕事が終わった後、そして休みの時間を使い、3年かけて手作りで建てました。

 

 

個展、ライブ、被災者支援・・・広がる人の輪とこれからの夢

 

以前はこの家で個展をやったり、ライブ、座禅会もやりました。「観月祭」と称して満月の夜に飲み会も開いていました。地元のいろんな年代の人が集まってワイワイと。この時の仲間たちが中心となって、三陸に被災者支援に行ったのも、貴重な経験でした。

 

 

今後は霧降高原の芸術祭を盛り上げていきたいと思っています。日光の自然を活用して、アーティストを呼んで。素晴らしい考え方の人が集まれば、素晴らしいイベントになる。それが日光の魅力につながったら嬉しいです。

 

日光に来て20年近くになりますが、定住することはいいことですね。あっちがいいとかこっちがいいと目先の魅力だけで動くと、なかなか見えないことがある。一箇所に止まっていると、周りが動いているのが見えて、なにをつかめばいいのかはっきりわかりますから。